「ドンロー主義」について(7):日本の「アジアのモンロー主義」の歴史
両大戦間期、日本では大東亜共栄圏を「アジアのモンロー主義」と捉える議論が広がり、依拠する地政学理論も、英米系の海洋国家ネットワーク重視から大陸系の圏域重視へ転換した。これは対米協調から大陸進出へ傾斜した結果である。アジアのモンロー主義のテーマは、現代世界では、中国に最も関連性がある。ただし歴史は単純に反復しないことを踏まえた慎重な分析が必要である。
篠田英朗
2026.01.16
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かつて世界がブロック化した時代のアジアのモンロー主義
アメリカが世界最強の国になりながら、伝統的なモンロー・ドクトリンに固執していた両大戦間期に、モンロー・ドクトリンは、世界中の人びとが注目する外交原則となった。
1929年に大恐慌の時代が始まり、ブロック経済が進展すると、世界各国の人々が、生き残りをかけて、「圏域」思想の表現としてのモンロー・ドクトリンにあらためて注目するようになった。
そのとき、日本人の多くも「アジアのモンロー主義」を語るようになった。いわゆる大東亜共栄圏のことである。欧州では、アドルフ・ヒトラーが「生存圏(Lebensraum)」を「欧州のモンロー主義」として説明していた。
この1930年代の「モンロー主義」ブームのような現象は、いったい何だったのか。
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- T・ローズベルト大統領の「日本のモンロー主義」
- 当初の「アジアのモンロー主義」論への警鐘
- 「アジアのモンロー主義」論の隆盛
- 日本の地政学理論の転換
- アジアのモンロー主義としての大東亜共栄圏へ
- 日本のアジアのモンロー主義の歴史と、21世紀の世界
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