トランプ高関税政策の構造的事情と国際秩序
トランプ政権が導入を宣言した高関税政策を発端にした日米間の交渉が、停滞しているようだ。担当大臣となった赤澤経済再生相が、二度目の訪米を行ったが、むしろ一度目よりも雰囲気が悪い。そこで石破首相が、自動車の追加関税は「絶対のめない」と、いささか感情的になり始めた発言をしているのが気になる。メディアや識者の論調も、相変わらず感情論的なものが多い印象を受ける。
「手段としての貿易赤字削減」とは何のことか
石破首相は、5月2日のインタビューで、米国の関税措置による対日貿易赤字削減について「手段としてはあり得る。できることはするが、それによって日本の雇用が失われてはならない」と強調した、と各メディアで報道されている。私は、どうもこの発言の意味がとれない。「貿易赤字」は、アメリカ側から見たときの言い方だ。この「貿易赤字」の削減は、トランプ政権にとって「目的」であって、「手段」ではない。もしこれを「手段」として認識するのであれば、トランプ政権はより高次の目的を持っている、ということを石破首相は語っていることになる。何を言いたいのか。メディアの情報をチェックしてみたが、インタビューからは不明だ。石破首相は言っていない。
どうも前後の言い方から、「アメリカの貿易赤字の削減に日本が協力することは、日本の高次の目的に照らしても、手段としてありうる」ということを、石破首相は言いたかったように推察できないわけではない。だがそうなると日本にとって高次の目的とは何か。安全保障で依存しているアメリカとの良好な関係の維持管理であろうか。よくわからない。
もしアメリカとの良好な関係の維持管理が高次の目的なのだとしたら、そのために日本の雇用を犠牲にすることまではしない、という決意表明をしたことになる。たしかに、何があってもアメリカとの関係を重視するあまり、日本における雇用が皆無になってしまったら、国が立ち行かない。本末転倒である。だが果して石破首相は、そこまでのことを言ったのか。
そもそもアメリカをなじって日米安全保障条約の破棄を宣言してみたところで、アメリカが高関税政策を放棄するかどうかはわからない。論理的な対応関係が見えない。アメリカが困ることを「対抗措置」として提示するのでなければ、交渉のカードにならない。
もし石破首相のインタビューが、「政治家は学者みたいに概念構成をきっちり決めたりはしないんだ、「手段」と言ったって、どの目的との関係で「手段」かどうかなんてそんなことは政治家は考えない、ただフワッと「手段」と言っただけで、それが学者にとって「手段」を意味しないならそれでいい!!!」、ということを意味しているのだとしたら、非常に心配である。交渉相手の「手段」と「目的」の整合関係も分析せず、交渉をしていることになる。そもそもそんなことが可能なのか。ただお喋りしているだけなのではないか。学者っぽいとか学者じゃないとかの問題ではない。
トランプ政権の「目的」
トランプ政権側も、自動車を高関税対象から外す妥協は容易には「のめない」。理由は、目的が重なる重要領域だからだ。貿易赤字の削減そのものが目的であり、それは財政赤字につながる範囲で目的としての重要性を増す。自動車関連の取引が、アメリカの対日貿易赤字の78%を占めるとも言われる。トランプ政権としてみれば、この領域に手を付けないで、目的を達成することはほぼ不可能だ。https://www.hudson.org/trade/negotiating-us-japan-trade-deal-thats-good-america-riley-walters?utm_source=chatgpt.com
加えて製造業の復活は、トランプ大統領が選挙戦時から掲げている重要政策の一つだ。簡単に引っ込めるわけにはいかない。石破首相の言葉をもじれば、トランプ政権にとって、製造業の復活がより高次の目的で、貿易赤字の削減は手段にすぎない、という言い方をすることも不可能ではないくらいに、製造業の復活は重要政策目標である。もっとも石破首相は、アメリカの(手段としての)貿易赤字の削減には協力してもいいが、(目的としての)製造業の復活には協力しない、と言っているように聞こえてしまうので、意味不明だったのだが。
製造業の復活は、トランプ政権の高関税政策の主要目的だ。日本から「のめない」と言っている、といった事情だけで取り下げるくらいなら、最初から導入を宣言していないだろう。トランプ大統領の選挙戦の最中からの公約を、ただ日本に「のめない」と言われ宝という理由で取り下げるのでは、選挙制民主主義の仕組みに関わる問題になる。
トランプ政権は高関税政策を取り下げるのか
トランプ大統領の常識外れの政策に対する非難の声が強い。中には、さすがのトランプ大統領もすぐに間違いに気づいて政策を変更するはずだ、という楽観論もある。確かに高関税発表後の市場の厳しい反応を見て、10%以上の高関税部分を延期した経緯もある。だが責任を強引に他人になすりつけてでも自我を通す傾向が強い大統領でもある。それこそ延期などのあらゆる措置や言い訳を並べても、失敗したので政策変更をした、という経緯は作らないようにはするはずである。結局は、次の中間選挙の見込みが厳しくなれば、共和党議員から不満が噴出する可能性もあるが、それも今年後半の大型減税策を導入してもなお共和党への逆風がやまない場合だろう。いずれにせよ、しばらく時間がかかる。
すでに各方面で指摘されているように、トランプ政権による日本への25%関税措置が発動された場合、それがGATT(関税および貿易に関する一般協定)違反と言える可能性は高く、制度理論上はWTO(世界貿易機関)への提訴(紛争解決手続)が可能である。ただし現在、WTOの上級委員会は機能停止しており、判決にたどり着くのが実際には非常に難しいと考えられている。それをふまえて、トランプ政権は、あえてWTOから脱退するようなことはせず、安全保障上の例外措置を主張している。
国内法上も、国際緊急経済権限法(IEEPA)に基づいて大統領に与えられた権限の範囲内だ、という主張をしている。これはかなり際どい主張であり、今後、司法判断が下される場面が作られ、トランプ政権に不利な決定がなされる可能性もある。だが、なされないかもしれない。しかも行政府による判断が越権だとされたとしても、関税率を決める権限が共和党多数派の議会に戻されるだけで、判決とともに自動的に高関税が消滅するかどうかはわからない。
国際法の世界には、一般国際法、という考え方がある。条約などで具体的に定められていない領域においては、伝統的な慣習国際法などが適用される、という考え方だ。関税は、主権国家が、自らの主体的な判断で決定するのが、基本である。他国への侵略や、一般市民を殺害する戦争犯罪を糾弾するのと同じレベルで、トランプ関税は国際法違反だ、と抽象的に叫ぶことは、必ずしも容易なことではない。
トランプ高関税は天変地異ではない
日本では「トランプ関税」を、天変地異か感染症の流行のようなもののように捉え、一過性の危機をどうやり過ごすか、という視点で、議論がなされているように思われる。
だが、トランプ政権の姿勢を甘く見ることだけは、やめたほうがいい。厳しい内容の交渉であることが現実であるのであればそれで仕方がないが、甘い想定で入って、最後に感情論で出てくると、波及効果が大きくなる。長期的な国益を見据えるならば、良好な日米関係を維持していくためのリスク管理の視点も大切だろう。
この「The Letter」でも何度か論じてきたことだが、トランプ大統領の19世紀「アメリカン・システム」への憧憬は、長年にわたるものであり、かなり筋金入りだと言ってよい。単なる個人的な思い付きとまでは言えない伝統を持っている。高関税を通じた製造業の保護と所得税の回避、という19世紀「モンロー・ドクトリン」の時代にアメリカが標榜していた政策の歴史的重みを、完全に無視することにはリスクがある。
もちろん、21世紀の世界で19世紀の政策を持ち出すのは時代錯誤も甚だしい、と憤ることは、簡単である。だがその憤りを正当化するためには、やはり19世紀的な問題が21世紀には存在していない、ということを証明しなければならない。
トランプ高関税政策の背景にある構造的問題
アメリカは世界最大のGDPを持つ超大国であり、欧州諸国や日本などの旧来の他の経済大国と比べれば、近年も高い経済成長を続けてきた。それを支えていたのは、インターネット革命の波に乗ったサービス産業やデジタル産業、あるいは基軸通貨ドルの優位を背景にした金融産業などであった。いずれも知的集約性の高い産業であると言ってよい。だがアメリカは、山麓の小国ではない。人口3億3千万人を抱える巨大な国である。3億人を、世界最先端の競争性を持つ業種で就業させて高所得者層に仕立て上げることは、非常に難しい。国を維持するためには、労働者階級を吸収する製造業の復活がどうしても必要だ、という考え自体は、必ずしも破綻はしているとは言えないだろう。だからこそ、トランプ大統領が再選されている。
自由貿易主義に逆行し、つまり国際的分業体制に逆行して、高関税政策を導入することは、経済学的には合理性がないかもしれない。AIのような最先端部門で比較優位を作り上げながら、同時に、伝統的な産業で強い製造業も維持するのは、至難の業かもしれない。だが、逆に言えば、そんな経済学者に支持されない政策であってもなおやってみたくなるほどに、アメリカ社会は疲弊しているのだ。それこそが、グローバル化し過ぎた資本主義経済の中で深刻化した経済格差の問題にあえぐ21世紀の問題なのだ。
トランプ大統領は、特異な性格を持つ奇異な大統領である。だがそれは、彼が空想の世界で遊んでいるだけであることを意味しない。特異な人物が繰り返し大統領に就任し、奇抜な政策をとってくるのが21世紀の現実だ、という発想が必要である。
おそらくは20世紀に常識的な前提であった現実のいくつかは、21世紀には変化し、あるいは失われていく。20世紀と同じ国際秩序が、21世紀にもただ漠然と続いていく(トランプ大統領さえいなくなってくれれば)と考えるのは、無理がある。アメリカの覇権的な力の優位があった時代と、それがない時代では、おのずと国際秩序も変わっていく。国際経済システムも変わるところもあるだろう。これは大きな問題であり、全体像を簡単に言うことはできない。しかし、高関税政策を、大きな構造的な問題の視野から捉えておくことは、どうしても必要であろう。
私はトランプ大統領を軽視するのは、リスクがある、と言っている。仮に彼のことを過大評価すべきではないとしても、少なくとも彼が直面している構造的な問題から目をそらすことはできない。トランプ大統領さえいなくなってくれたら、トランプ大統領さえもう一度気まぐれを起こしてくれたら、問題は過ぎ去っていく、と考えながら、彼とのお喋りだけを続けることには、リスクがある。
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