日本記者クラブでの「トランプ2.0」講演後の追記
先日、日本記者クラブで「トランプ2.0」の題名で講演を行う機会をいただいた。その際に記録動画は、Youtubeで視聴可能となっている。(報告時に使用したPPTスライドは有料会員の皆様限定とさせていただいて巻末にダウンロード可能としておきました。)
「アメリカン・システム」、「モンロー・ドクトリン」、「アメリカン・コンチネンタリズム」、「マニフェスト・ディステニー」、などの19世紀アメリカ政治外交思想の諸概念は、すでに過去の「The Letter」でもだいぶふれてきた。7月末に公刊される予定の拙著『地政学理論で読む多極化する世界:トランプとBRICS(仮)』でも論じる。
人前でまとまった話をする機会をいただくと、自分なりに思考の整理をする良い機会になると同時に、質問をいただいて刺激を受けるところもある。いくつかの気づきがあったが、あらためて思ったのは、「トランプ2.0」が19世紀アメリカの政治思想への回帰に見える理由は、「20世紀のアメリカ」が削ぎ落とされてしまったからだ。
われわれが良く知っていて、常識であるかのように考えているアメリカとは、20世紀のアメリカだ。その20世紀のアメリカが削ぎ落とされると、19世紀のアメリカが出てくる。それで驚いてしまうのは、われわれは19世紀のアメリカのことをよく知らないからだ。20世紀のアメリカが退場すると、19世紀のアメリカが顔を出す。
20世紀を削ぎ落とすと19世紀が出てくる
「アメリカを再び偉大に(MAGA)」のスローガンを掲げるトランプ大統領の政治姿勢の前提は、かつて偉大なアメリカがあったが、最近のアメリカは偉大ではない、という歴史認識だ。それでは一体いつアメリカは偉大だったのかと言えば、トランプ大統領の発言をまとめてみると、どうやら19世紀のアメリカが偉大であったと考えているらしい。
20世紀はむしろ凋落の歴史だ。1913年というトランプ大統領が忌み嫌うアメリカが所得税を導入し始めた年、大統領に民主党のウッドロー・ウィルソン氏が就任した。第一次世界大戦への参戦を決め、戦後の国際連盟規約の起草などに尽力した人物だ。英語で「Wilsonianism(ウィルソン主義)」と言えば、「進歩主義」「国際主義」を意味する。ウィルソンの後、両大戦間期は共和党の大統領が続くが、「ウィルソン主義」はその後に復活して「20世紀のアメリカ」を形作ることになった。1933年にフランクリン・ルーズヴェルトが就任すると、トルーマン大統領が退任する1953年初頭まで、約20年にわたる民主党大統領の時代が続いた。この20年間の間に、アメリカが主導する第二次世界大戦後の国際秩序が構築された。数多くの諸国との軍事同盟の中心にアメリカを置く外交のみならず、関税が低く、所得税が高い経済政策など、「20世紀のアメリカ」の前提が次々と作られて確立された。修正されたウィルソン主義と言うべき外交姿勢を持つ国がアメリカであることが、世界の常識となった。
もちろん「20世紀のアメリカ」を削ぎ落して19世紀の政治外交思想に立ち戻ろうとするトランプ大統領の政策姿勢は、時代錯誤的で、あるいは個人的趣味の域を出ないものなのではないか。多くの人々が、そのように疑い、トランプ大統領を責め立てている。
だが別の観点から考えてみることもできる。もし「20世紀のアメリカ」が特異な歴史環境の中でのみ初めて可能となる例外的なものだったとしたら、どうだろうか。19世紀への回帰は、「20世紀のアメリカ」がもはや維持不可能になったがゆえの現象だ、ということになる。
「20世紀のアメリカ」は限界を迎えているのか
1945年当時、アメリカのGDPの世界経済に占めるシェアは50%~55%程度であったと言われる。今日では想像ができないような空前絶後の国際経済の寡占状態であった。この圧倒的なアメリカの経済規模を前提にして、ドルを特別な通貨と定めて貸付運用制度を実施する世界銀行やIMFのような機関が生まれた。GATTの自由貿易主義を推進することがアメリカの国益にもかなうと信じられた理由は、アメリカに圧倒的な経済力があったことだ。
現在のアメリカのGDPの世界経済におけるシェアは26%程度である。これはまだ名目GDPで世界一なのだが、1945年の水準と比べてみるならば、半分以下に減退してしまっていることになる。
アメリカのGDPの世界経済におけるシェアが36%程度にまで下がってきた1971年、当時のニクソン大統領は、金本位制を放棄する、という決定を突然に発表した。その2年後の1973年、主要国が変動相場制に移行することを決めたとき、アメリカのGDPの世界経済におけるシェアは31%程度にまで低下していたとされる。
変動相場制への移行後、ドルはかえって基軸通貨としての地位を固める。金の裏付けがなくなって、むしろドルが各国通貨の交換比率の基準としての役割も担うようになったのだ。国際貿易決済におけるドルの使用も、圧倒的な割合となった。今でも、為替取引におけるドルの取引高は全体の8割を占めている。また各国中央銀行の外貨準備に占める各通貨のシェアで、ドルは全体の約6割を占めている。さらに言えば、世界の輸出品の約半分はドルで価格付けされている。
このドルの特別な地位のため、通貨発行国であるアメリカは、国際貿易取引の増加に、ドル紙幣を印刷し続けて対応することになった。アメリカの貿易赤字は累積的に増加し続けた。史上最高値を更新し続けているような状態である。超大国としての威信を守るための財政出動の負担は、史上最大規模の財政赤字も膨らませ続けている。アメリカの歴史的に経験のない水準で膨張し続けている貿易赤字と財政赤字の負担に、アメリカが、あるいは国際経済体制が、どこまで耐えられるのかは、究極的には誰にもわからない。壮大な社会実験が行われていると言ってよい。
トランプ大統領が説明するように、この貿易赤字と財政赤字が国家の非常事態の水準にあるとすれば、それはつまり「20世紀のアメリカ」の限界の露呈だ。もし仮に現在の国際経済システムを続けていくことがもはや不可能だという地点にたどり着いてしまったら、「20世紀のアメリカ」は削ぎ落すしかなくなる。これはトランプ大統領の好み以前に、構造的な事情で、そうならざるをえないのだ。
トランプ大統領の批判者たちは、通常の政策に戻るべきだ、という保守的な発想を持っている場合が多い。トランプ大統領の政策は、トランプ大統領の思い付きの好みによって決まっている、とみなしがちである。戻ろうと思えば、簡単に20世紀に戻れる、と考えがちである。
だが、もし「20世紀のアメリカ」が、極めて特異な時代環境によって生まれた例外的な状況の産物であったとしたらどうだろうか。その20世紀の特異な時代環境が変化あるいは消滅するのにしたがって、「20世紀のアメリカ」も消えていかざるをえないことになる。それはアメリカ国内の出来事にとどまらず、国際社会の構造にも影響を与えるだろう大きな事件ではあるだろう。しかしどうしてもそうなっていかざるを得ない現実があるのなら、われわれはその現実を見据えなければならない。「トランプ2.0」の構造的な事情の背景を見据えておかなければならない。
< 篠田英朗 国際情勢分析チャンネル」(ニコニコチャンネルプラス)で、月二回の頻度で、国際情勢の分析を行っています。https://nicochannel.jp/shinodahideaki/>
(有料会員の皆様に、日本記者クラブでの発表の際に使用したPPP資料をダウンロードできるようにしておきます。なお転載等はお控えください。)