欧州の低落という地政学リスク
私自身はこれまで繰り返し、ウクライナとアメリカの関係悪化という最悪の事態を防ぐことを考えるべきだという議論をしてきた。ただ逆に言えば、物事はその最悪の事態に向かって突き進んでいたのだとも言える。
日本政府関係者のみならず、学者や評論家層も、異論を封じ込めることに必死で、事態の悪化を防ぐための手立てを考えるような姿勢をとってこなかった。今に至っても、日夜トランプ大統領の人格批判を延々と述べ続けるだけの方々も目立つ。
アメリカの政策の批判的検討が、いつの間にか単なる現実逃避になっていかないように気をつけておかなければならない。
ロシアのウクライナ全面侵攻後の三年間では、ロシア・ウクライナ戦争をめぐり、非常に情緒的なやり取りがなされることが常態化していった。学会などにおいても、ウクライナを支援する事故の立ち位置の表明を、学術研究報告におりまぜて行うような場面が、多々見られた。他の紛争をめぐっては、決して見ることのできない特異な状況であると言える。
アメリカの政策を変えたトランプ大統領が一つの地政学リスクだ、という主張も見られる。その根拠は、トランプ大統領のせいでロシアを征伐することができなくなった、というものである。「ウクライナは勝たなければならない」という立場をとるのであれば、そのような議論も出てくるのだろう。
だが注意しておくべきは、現在のウクライナに不利な戦況は、決してトランプ大統領が作り出したものではない、ということだ。トランプ大統領は、ウクライナに不利な現況で、大統領職に就いた。その現況もふまえたうえで、早期の停戦調停に熱意を燃やしている。トランプ大統領の行動の評価は、より総合的かつ長期的な視野で、評価していかなければならない。
最も直近の地政学リスクは、ウクライナの苦境であり、その内政の脆弱性だ。停戦に抵抗し続けて、軍事的に圧倒的に不利になるのは、ウクライナの側である。今後はウクライナの内政にも大きな負荷がかかっていくため、国内政治の不安定性が高まる可能性が出てくる。その点については、以前の記事でふれた。
欧州という地政学リスク
そうなるとウクライナ支援の立場を取り続けている欧州にも、地政学リスクがかかってくる。すでにロシアに対する経済制裁やエネルギー輸入の停止などの措置によって、欧州経済に大きな負担がかかっている。物価高に苦しむ欧州の一般庶民は、既存の政治家層に不満を高めている。欧州各地で、右派政党が勢力を伸ばしている。負担をかえりみず大規模なウクライナ支援を続けるEUのフォンデアライエン委員長やカラス外交安全保障上級代表は、選挙の洗礼を受けないため、残存し続けるが、すでにEU議会では右派政党が勢力を伸ばしている。ウクライナ支援に懐疑的な姿勢を明確にするハンガリーのようなEU加盟国政府も生まれてきている。
欧州の疲弊が、どこまでのレベルにまで到達するかは、欧州経済の動向にかかっている。私が見る限り、不調の欧州経済に、楽観的な見通しはあまりない。何と言っても、ドイツの製造業が不調であることは、欧州全体の経済動向に大きく影響する重要要素である。EUはドイツ経済を中心に運営されている面があり、その仕組むの改変は難しい。
ウクライナに停戦がなされた後に欧州軍がウクライナ領に展開することが企図されている。それを構成することが確実視されているのは、非EUのイギリスだけだ。次に候補となるのは、フランスと目されている。EUの盟主であるドイツは、難色を示している。ひとたびウクライナに派兵すると、有事の際に大きな危難がふりかかるリスクのみならず、長期に渡る大規模な駐留にともなう負担も甘受しなければならなくなる。経済的合理性を考えたら、派兵は避けたいのが、当然だろう。
だがその場合にはなおさら、長期にわたってウクライナへの軍事支援や経済支援をし続けなければならない負担がEUにのしかかる。本来は欧州の安全保障の仕組みは、EUというよりはNATOを中心にして構想されるべきものだ。.しかしトランプ大統領は、ロシア・ウクライナ戦争の自らの停戦努力に対する欧州各国の対応に不満を持っており、アメリカがNATOの仕組みを通じて関与をしてくる可能性は乏しい。もちろんEUはこれまでも、ボスニア・ヘルツェゴビナなどのバルカン半島の諸国の安全保障に、明白な関与をしてきた。しかしウクライナへの関与は、規模や性格が全く違うものになるため、負担の度合いや性質は全く異なるものになる。
さらなる課題の一つは、ロシアに対する経済制裁である。現状では、停戦が果たされた際に、ロシアが占領地から撤退していく見込みは乏しい。ウクライナが領土の放棄を公式に宣言しないで済ませるように取り図るのが、ぎりぎりの路線である。そうなるとEUは、経済制裁を解除することができない。万が一には、アメリカは解除してくる可能性がある。アメリカなしでロシアに対する経済制裁を続ける場合、現在ですら実態と乖離している単独「制裁」が、さらにいっそう有名無実化し、単にEUがロシアとの関係を一方的に断ち続ける、という状態が続くだけだ。これはEU経済にとって、負担でしかない。
長期的な視点と直近の課題
長期的な世界経済の動向では、EUの経済シェアは低下していくしかない。ロシアを含むBRICS系の諸国の経済成長は、EUを圧倒している。その状況で、自らを不利にするだけの経済活動に対する制約は、欧州の地位の相対的な低下を促進していく。
欧州諸国は、国際社会において政治的に大きな発言力を持ってきた。果たしてその発言力が、現実の国力を反映したものであるのかについては、これまでも疑問の余地があった。今後はいっそう欧州の歴史的な地位と現実の国力との間の乖離が大きくなっていく。
その乖離を管理していく外交的な技能を、EUが発揮していければ、ソフトランディングが図られていくだろう。だが乖離を受け止めない高圧的な態度をとっていくのであれば、各所で様々な不安定化のリスクが発生してくるだろう。
国際社会が、欧州の力の低下という現象を、どう受け止めるか。長期的な地政学リスクの一つである。
ロシア・ウクライナ戦争をめぐっては、欧州諸国は単にウクライナを強力に支援してきただけでなく、「ウクライナは勝たなければならない」と、いたずらに目標値をあげてきてしまった。これは戦争の長期化の要因になっただけでなく、欧州が政治的威信を保つことを非常に難しくしてしまった。バイデン政権時のアメリカですら、「ウクライナは勝たなければならない」とは言わなかった。しかし現在のEU指導部を構成するカラス外交安全保障上級代表やフォンデアライエン委員長は、ウクライナの勝利まで戦争を継続すべきだという発言を繰り返している。
カラス上級代表は、エストニア首相であった時代から、繰り返し「ウクライナは勝たなければならない」と述べ続けてきた。正直、人口130万人の小国エストニアが「ウクライナは勝たなければならない」と主張するとき、自国がその勝利に貢献する度合いは極めて小さいことを前提にしていることは間違いない。つまりアメリカなどの大国に、ウクライナを勝たせてやれ、と要求していただけだった。言われている大国の側にしてみれば、無責任にそんなことを簡単に言うな、という気持ちにならざるをえなかっただろう。
欧州は、達成できない高い目標を設定してしまった。結果として、今、政治的威信の維持が、難しくなっている。遂にイギリスとフランスが主導して、ウクライナとともに、停戦案を作成するという。「ウクライナは勝たなければならない」からのソフトランディングの作業だ。欧州がどれだけ威信を維持できるかが注目される。
(サムネイル画像は『アゴラ』2025年3月1日記事より:欧州はどこで間違えたのか:懲悪ファーストの陥穽 | アゴラ 言論プラットフォーム)
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